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沖縄 ひろし

沖縄の城跡、石獅子、大川など歴史的遺構を紹介しています。
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ウフガー 久米島
ウフガー

小さな史跡です。久米の五枝のマツの所にあるので、ついでに観るといいでしょう。

標示版より
 この井戸はウフガー(産川)と呼ばれ、水道が普及する前までは生活用水として近隣の住民に利用されていました。ウフガーという名の由来は、昔はこの水を産湯にも使ったことからきています。井戸の上にはリュウキュウチク(沖縄列島のみに分布する竹の一種)を立てかけて屋根を作り、枯れ葉などが入らないようにしてきれいな水を守っています。

沖縄,久米島,史跡,ウフガー


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大川&樋川 | 21:34:01
ドイツ皇帝博愛記念碑 県指定史跡
ドイツ皇帝博愛記念碑 県指定史跡

標示版より
 1873(明治6)年7月、ドイツ商船ロベルトソン号は中国福州から濠州へ向かう途中に台風にあって漂流、宮国沖合で座礁難破した。宮国の人びとは夜通しかがり火をたいて励まし、荒天をついて乗組員8人を救助した後に34日間にわたって手厚くもてなし、島役人たちは官船を与えて帰国させた。
 のちにことことを知った当時のドイツ皇帝ウィルヘルム一世は宮古島の人びとの勇気と博愛の精神をたたえ、1876(明治9)年3月、軍艦チクローブ号を派遣して記念碑を建立したという。
 碑文は表はドイツ文と漢文、裏は漢文で記されている。この一帯は親越とよばれ、漲水港をみおろす丘の中腹に立てられた大理石の碑は、当時は漲水港のはるか沖合からも夕日にかがやいてよく見えたという。

ドイツ皇帝博愛記念碑,宮古島


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その他史跡 | 09:25:05
久米の五枝のマツ 国指定天然記念物
久米の五枝のマツ 国指定天然記念物

標示版より
 久米の五枝のマツは、高さが6m、幹の周りが約4.3m、枝が地面をおおう面積は250㎡にも及ぶリュウキュウマツです。18世紀初頭、土帝君(農業の神)を祭ったときに、この地に植えられ現在に至っています。根が石を枕にして地面に広がり、枝が波打つように地をはうその美しさは、天下随一といわれ、琉歌にもその美しさが歌われています。

久米の五枝の松

久米の五枝の松


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大木 | 18:33:17
梵字炉
標示版より
 フンジロー(フンジルー)または惜字炉(セキジルー)ともいいます。文字の書かれた不用紙を焼くための炉で、19世紀中頃に中国から敬惜字紙の風習が伝わったものです。一説によると、冊封使の「林鴻年(りんこうねん)」が字紙を路上に捨てずに敬うことを説き、この紙片を大切に扱わせるため炉を設置し、これに入れて焼くことから始ったといわれています。
 字百名の梵字炉は明治時代に造られ、国道沿いにあったものが移転されたものです。高さが114cm、幅は72cmあって四枚の石灰岩の平石を組んで造られており、前に長方形の紙を入れるための穴と、後方には排煙のための円形をした穴が開けられています。

梵字炉,南城,沖縄,史跡


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その他史跡 | 08:14:10
久松五勇士顕彰碑
顕彰碑記載より

 久松五勇士は、日露戦争たけなわの明治三十八年五月二十五日、ロシアのバルチック艦隊が宮古島西北洋上を通過したことを、大本営に急報すべき重大任務をおび、はかり知れぬ海上不安にとざされた波浪高き太平洋上を刳舟に運命を託して乗り切り、五月二十七日早暁八重山通信局より「敵艦見ゆ」の打電をなさしめ、その大任を果たした。
 積極果断よく祖国の難にのぞみ、忠君愛国の至誠に燃えて国の大節に尽くした壮挙は世の亀鑑なりとして、海軍省をはじめ各関係機関より数々の感状、表彰の光栄に浴した久松五勇士の功績を顕彰し、とこしえに伝えんために、ここに碑を建つるものである。
一九六六年八月十一日 久松五勇士顕彰期成会

久松,五勇士,顕彰碑


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戦争 | 23:19:55 | Trackback(0) | Comments(0)

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