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沖縄 ひろし

沖縄の城跡、石獅子、大川など歴史的遺構を紹介しています。
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チチンガー
 今回は井戸です。

大里村(現南城市)教育委員会の表示板より

チチンガー
 チチンガーは、島添大里グスクの城門近くの城壁外に設けられた降り井形態の井戸で西原集落の村の共同井戸として使用されていた。築造年代は定かではないが、島添大里グスクとの関係から14世紀頃と推定される。井戸の湧水地点は地表から8メートル下にあり、取水地までは琉球石灰岩の岩盤を削って43段の階段が取り付けられている。取水地の岩盤部分は琉球石灰岩の面取り積みの石垣が積まれており島添大里グスクの城壁の一部ともみなされている。
 伝承によれば、井戸が城壁外にあると清水湧きだし、城内に取り込まれると水が涸れたとのことである。また城内のスクヤマヌウカー(御井)が涸れたので築造したとの
伝えもある。
 チチンガーは、島添大里グスクと密接に関わっているばかりでなく、当時の城と井戸との関係を理解する上でも貴重である。


チチンガー

 ちょっと暗いのですが、石造りの階段を下りていくと水が湧いています。夏でもひんやりとしています。


 場所は大里から佐敷に抜ける峠道から少し入ったところです。大里公園(大里城趾)を目指すと大里城趾の手前にあります。
 バスでは那覇バスターミナルから109番(大里線)にて45分、西原入口バス停下車徒歩10分です。


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大川&樋川 | 19:22:30 | Trackback(0) | Comments(0)
仲島の大石(なかじまのおおいし)
 今回は沖縄本島旅行の出発点、那覇バスターミナルにある史跡です。バスターミナル内にあるので、本島観光に出発する際にはちょっと見ていくといいでしょう。

説明は表示板から

仲島の大石
 高さ約6m、中央部の周囲は約25mの琉球石灰岩で、岩の下の方は波に浸食されてくぼんだ「ノッチ」と呼ばれる後があり、昔このあたりが海岸であったことを示している。久米村の人々は「文筆峰」とも呼び、村の風水にかかる縁起のよい大石として珍重していた。
 また、この付近に仲島の遊廓があり、多くの遊人が訪れ賑わっていた。歌人として有名な「よしや(吉屋地チルー)」も、この遊廓で短くはかない生涯を終えたと伝えられている。1908年(明治41年)には仲島の遊廓は辻に合併移転し、大正初年までにはこの付近は埋め立てられて現在に至っている。

 仲島の大石


 那覇バスターミナル内にあるのですぐにわかります。一見、バスターミナル内に大きな岩が転がっているので何かなと思いますが、この仲島の大石です。





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御嶽 | 22:36:21 | Trackback(0) | Comments(0)
糸数城跡(いとかずじょうせき)
 今回は、沖縄本島南部の南城市にある糸数城跡です。かなり規模の大きな城跡なのですが、現在発掘調査中で観光用の整備などはほとんどされていません。もちろん自動車を止める場所はあります。
 糸数城跡はほとんど人が来ることがないので、ゆっくりと見れます。むしろその方が、遠い昔の古き歴史を感じさせるどこかもの悲しい城跡です。

沖縄県教育委員会の書籍より
 沖縄本島南部知念半島から西へのびる石灰岩台地の西端断崖上に築かれたグスク(城)である。城壁の石垣は野面積みと切石積みの両方が用いられ、全て琉球石灰岩が利用されている。平地へと続く北側と東側では高さ5~6mの切石積みの石垣、西側では自然の断崖を巧みに利用して高さ1m前後の野面積みの石垣を巡らしている。城の大手門は東側に開き、門の形式は下部を切石積みの石門としてその上に櫓がのるいわゆる櫓門であった。現在では上の櫓はなく、石門のみとなっている。
 築城年代については明らかでないが、伝承によれば玉城按司が二男を大城按司に、三男を糸数按司に任じたということから、おそらく三山分立時代の初期14世紀前半であろうとされている。

糸数城跡

 道路から城跡に向かうと、長い石積みが見えてきます。

糸数城跡

 古代遺跡のような風格のある城跡です。木々の繁茂が歴史の深さを感じさせます。

糸数城跡

 切石積みの城門です。古代アンデスの石組みのような精巧さで積まれています。

糸数城跡

 野面積みの城壁です。無造作に積んでいるようにも見えますが、全体としてみるととても綺麗に見えます。沖縄の城跡は曲線がとてもいい感じです。


 糸数城跡は、県道48号線或いは県道86号線を南東に向かうと、「糸数城跡」の案内板が見えてきます。糸数壕の近くなので、南部観光総合案内センターを目指すといいでしょう。そこで近辺の地図がありますので直ぐにわかります。
 バスでは、那覇バスターミナルから51番百名線或いは53番志喜屋線(船越経由)に乗り、45分ぐらいで糸数入口下車、徒歩500mです。



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城跡 | 09:26:05 | Trackback(0) | Comments(0)
斎場御嶽(せーふぁうたき) 世界遺産
 今回は沖縄でも最も神聖な場所、斎場御嶽です。斎場御嶽は、内地での伊勢神宮のような場所です。
 場所は沖縄本島南部の南城市知念にあります。世界遺産にも登録されているので、観光コースにもなっています。

パンフより

斎場御嶽とは
 御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、斎場御嶽は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。
 御嶽の中には六つのイビ(神域)がありますが、中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも首里城内にある部屋と同じ名前をもっています。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すものでしょう。
 はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には、聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめました。その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任式である「お新下り」でした。斎場御嶽は、琉球国王や聞得大君の、聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り(アガリウマーイ)」の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。

東御廻り(あがりうまーい)
 琉球民族の祖といわれるアマミキヨ族が渡来し、住みついたと伝えられる知念・玉城の聖地を巡拝する神拝の行事。
 首里城を中心に、大里・佐敷・知念・玉城の各間切を東四間切または東方(あがりかた)ということから、知念・玉城の拝所巡礼を「東廻り」と称したものである。「今帰仁ヌブイ」と同じく、沖縄中の各門中が拝む風習があった。久高島は麦の発祥地、同じく知念のウファカルと、玉城の受水走水(三穂田)は米の発祥地として国王および聞得大君が参詣したことから、沖縄中の各門中も拝むようになったという。

御新下り(おあらおり)
 聞得大君の即位儀礼。任命後にはじめて知念間切にくだり、与那原の親川でお水撫での後、知念間切の斎場御嶽に夜籠もりをしてお名付けを受け、【大君霊】を継承する。
 御新下りは国の一大祭礼であり、その規模は大きなものであった。なお、1840年の史料によると、馬が138頭、道路補修等を含めた就任に駆り出された人夫がのべにして2,573人だったというから驚きである。

聞得大君(きこえおおきみ)
 琉球王国(第二尚氏)時代の最高の神女。
 【聞得】は【大君】の美称辞で、名に聞こえる大君様の意である。
 1470年に即位した、尚円王の王女が初めて大君に任命されて以来、王女・王妃・王母など、王族の女性が代々その職につき、明治12年(1879年)の首里城明け渡しに至るまで存続した。
 その任務は国の重要な祭祀を通し、国王の長寿・国の繁栄・五穀の豊穣・航海の安全を祈願することにあった。

久高島(くだかじま)
 知念半島の東方海上に位置する。琉球開びゃく伝説では、あまみきよ(琉球開びゃく神)の上陸地とされ、五穀発祥地と伝えられる。イザイホーをはじめとする多彩な祭祀行事が有名。


斎場御嶽
 
 三庫理(サングーイ)
 二本の鍾乳石と、三角形の空間の突き当たり部分は、それぞれが拝所となっています。また、東側には海の彼方に久高島を望むことができます。

斎場御嶽

 三庫理の中からは遠く神の島「久高島」が見えます。



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御嶽 | 22:32:32 | Trackback(0) | Comments(0)

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