沖縄 ひろし

沖縄の城跡、石獅子、大川など歴史的遺構を紹介しています。
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天后宮
天后宮

表示板より
天后宮
 天后宮は、一名ブサードー(菩薩堂)とも呼ばれ、本尊に中国の航海安全の神天妃(天后ともいう)を勧請して祀っている。
 1756年、尚穆王の冊封のため中国より来琉途中の冊封使一行(正使全魁、副使周煌、外200余名)の船が台風にあい、真謝港外で遭難した。時の地頭代喜久村絜聡をはじめとする島の人々により全員救助され真謝の蔵元にしばらく滞在して船を修理し無事に那覇に着き冊封の儀式を行うことができた。その時の神の佐に感謝して1759年、尚穆王により堂が創建された。工事にあたっては冊封使一行からも工費銀や扁額聯などが寄進された。銀はグサーグムチ(菩薩堂基金)として保管され、年々の祭祀料として明治末まで活用された。堂は三間四方の平入り入母屋造の本瓦葺きで、周囲に雨端(土庇)をめぐらし、屋根は段差を設け、しころ葺き風になっている。堂内は正面に仏壇があり、厨子を安置して天妃像を祀ってある。かつては天妃像の左右に千里眼と順風耳の二神を配し、楣には「玉山仙姥の扁額、仏壇左右の柱と入口両側の柱にそれぞれの聯がかかげられていた。

天后宮,久米島,沖縄,御嶽






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御嶽 | 23:34:03
カニマン御嶽
カニマン御嶽

表示板より
 島添大里グスクの西端に位置しており、その由来については不明ですが、昔の偉人を祀ったお墓であると伝えられています。
 大きさが2.5メートルほどの琉球石灰岩盤上に御嶽は祀られており、直径約2メートル、高さ約1メートルの円形の屋根石が据えられています。また、頂部には宝珠が置かれていて、このような構造は南風原区の食栄森御嶽にもあり、大里地区に所在する御嶽の典型となっています。
 一段下った南東側には遥拝を行う広場が設けられており、二箇所ある遥拝所のうち、西側に向いている遥拝所がカニマン御嶽への遥拝所であり、以前までは一般の人はカニマン御嶽まで直接入ることができず、ここから拝んでいたという話が残されています。

カニマン御嶽,大里城址,御嶽,沖縄,遥拝所,史跡




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御嶽 | 22:46:06
波名城のお宮
波名城のお宮

表示板より
 今よりおよそ230年前、波名城村に潮平ヌペークーと言う人がいた。ある年所用で中国に渡り帰路遭難した。晴天にわかにかき曇って強風が吹きまくり、波は荒れ狂い船は木の葉の如くゆられ、まさに沈没寸前であった。ところが、不思議なことに、急に海は静まり無事に故郷の波名城村に帰ることが出来た。ところが、残して行った一人娘の姿が見えない。その行方はまったく知れなかった。人々が言うには、この山(現在のお宮の場所)に入って行くのは見たが、出て来るのは見ないと言う。ペークーは山中をくまなく探したがついに娘は見つからなかった。ところで、中国からの帰路海上で難に遭った時、急に暴風がおさまったのは、娘が山中に入り行方がわからなかくなったのと同日同刻であったことに気がついた。娘の加護が波を静め命を助けてくれたのだということがわかった。ペークーはその山中に祠を建て娘の霊を航海の安全を守る神として崇信した。すなわち、娘は「媽祖」となり海を静め父親の命を守ったのである。このことは、やがて波名城の人々に伝わり、部落の守神として改めてお宮を建立し、部落を挙げて深く崇信した。

具志頭村教育委員会

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御嶽 | 10:25:22
下地島巨岩(帯岩)
下地島巨岩(帯岩)

表示板より
 この巨岩は、1771(明和8)年3月10日大津波で打ち上げられたと伝えられている。岩の中央がやや引っ込んでおり、人間が帯を締めている姿に見える事から、帯岩(通称:オコスコビジー)とも呼ばれている。
 岩の高さ12.5メートル、周囲59.9メートルもある巨岩で、重量はさだかではない。当時この付近にあった木泊部落は津波襲来により全滅したといわれ、打ち上げられた大小様々な岩塊は飛行場建設時に使用されたが、この巨岩は当時の伊良部町の要請で残され下地島牧中に威容を留めている。そしていつの頃からか民間信仰が広まり、大漁祈願祭や航海安全、家内安全祈願が行われ、島建て岩守護神として定着しつつある。

宮古島市指定史跡 指定年月日1979(昭和54)年6月1日

宮古島,史跡,巨石,帯岩





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御嶽 | 17:02:55
唐の船御嶽
前回の港川フィッシャー遺跡の近くにある御嶽です。
道沿いの所にあるのですが、見過ごしそうなところです。

唐の船御嶽(とうのふにうたき)

具志頭村教育委員会標示板より
 昔、中国の貿易船が難破し、船が使用不能になったので、船員はこの地に上陸し仮小屋を建てて住んでいた。彼等は食糧に窮し、附近の甘藷、野菜はもちろん、にわとり、豚等までも盗んで食べるようになった。住民は、これを公事(間切の番所)に訴え出た。公事では遭難した不運の船員に深く同情し、間切の公費でもって食糧を供給した。当地滞在中彼等中国の船員は、この地に祠を設け中国に於いて深く崇信している、航海の安全を守護する「媽祖(まそ)」と称する女神を祀り、故郷中国へ帰る航海の安全と、健康を祈願した。願いがかなって中国へ帰ることが出来た。
 帰るに際し、彼等はこの地の住民に、この祠に祀られている神様は、海上安泰、豊漁、豊穣、子孫繁昌、健康を御守りする守護神である。ひとしくこの神の庇護を受けるようにと伝えた。人々はこの神を崇信し、この祠を「唐の船御嶽」と呼ぶようになった。当時、沖縄の人々は中国のことを「唐」と呼ぶ習であった。

唐の船御嶽
石灰岩のご神体が鎮座しています。

沖縄では珍しく比較的きれいに管理されています。


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テーマ:史跡巡り - ジャンル:旅行

御嶽 | 12:43:33 | Trackback(0) | Comments(0)
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