沖縄 ひろし

沖縄の城跡、石獅子、大川など歴史的遺構を紹介しています。
真っ青な海もいいですが、歴史の探検も面白いですよ。





遺跡名等を入力してください。



 沖縄方言とシーサーのオリジナルLINEスタンプです。
http://line.me/S/sticker/1094298
 LINEアプリからは「沖縄方言」「シーサー」で検索して下さい。



沖縄雑貨のお求めは・・・

ロゴ


琉球ガラス 琉球ガラス

沖縄の島野菜 島野菜

旅行前注文で楽々沖縄旅行



沖縄,島野菜,料理,レシピ
Macintosh、iPad用
(iBook判25.4MB)


一般用
(PDF判18MB)



沖縄関連参考書



























琉球ガラス


上門(いーじょう)の石門と石畳道
上門の石門と石畳道

表示板より
 「富名腰ウエキー」と呼ばれる上門のヒンプンと石垣の屋敷囲いは、多くの石工と人夫を動員して造られ、一年以上かかったと言い伝えられています。使用した石は集落の東側(ナンジャーガーの下側等)にある岩山の石を切り取ったもので、大勢の人々が引っ張って運んだと言われています。また、西側と後方には石畳道が残っており、石垣には石敢當がはめ込まれているなど珍しい方法で設置されています。

上門の石門と石畳道,南城市,史跡,石畳

上門の石門と石畳道,南城市,史跡,石畳
※個人宅なので、道路から見学するようにしましょう。



さらに情報検索
沖縄関係のブログ色々あります。にほんブログ村 旅行ブログ 沖縄旅行へ


家屋 | 15:10:40
根元家の石垣
 忙しくてしばらくさぼっていましたが。。。
 今回は、沖縄本島を離れて離島、渡嘉敷島です。
 渡嘉敷島は今ではダイビングスポットとして観光地化されていますが、歴史のある島です。

根本家の石垣

表示板より
 字渡嘉敷 5番地の屋号「根元」家の石垣は、渡嘉敷村に残る貴重な文化遺産である。
 当家は琉球王朝時代にこの島の男たちが水主(唐や薩摩へ行く船の乗組員)として、船(進貢船・接船)や(薩摩へ行く御用船)で活躍した頃に繁栄したと伝えられている。
 屋敷を囲む石垣や、内にあるヒンプンはどれも精巧に切り取られた石灰岩を正確に積み上げられており、現在のような道具もなかったであろう時代の職人技のすばらしさをかいま見ることができる立派な石垣である。
 この石垣は、渡唐船の船頭役を勤めた当家の主が「唐儲け」により建設したといわれており、往時の財力がうかがわれる。
 さった第2次世界大戦において東側の一部が破壊されたが平成9年3月に修復した。

根本家の石垣
重厚な石垣です。

根本家の石垣
入り口は行ってすぐの所に、家の中が見えないようにヒンプンがあります。




さらに情報検索
沖縄関係のブログ色々あります。にほんブログ村 旅行ブログ 沖縄旅行へ


テーマ:史跡巡り - ジャンル:旅行

家屋 | 22:45:44 | Trackback(0) | Comments(0)
竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区
 今回はメジャーな観光地、竹富島です。
 竹富島は沖縄の伝統的な家屋が保存されている島です。毎年、多くの観光客が訪れ、日中は離島等は思えないほど、人がいます。
 竹富島には民宿が数軒あるので、ゆっくりと泊って探索することをお勧めします。

竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区

県教育委員会資料より
 竹富島は、石垣島の南西約6kmの海上にあって、隆起珊瑚礁が発達してできたやや楕円状の平坦な島です。島には東集落・西集落・仲筋集落の三つの集落があって、島の中央部にまとまって集落域を形成しています。
 宗宅は、敷地一列ごとに白砂を敷き詰めた道が走り、東西に数戸の敷地が並んで一つの区画をつくっています。各屋敷はさんご石灰岩の石垣で囲まれて伝統的な赤瓦に白い漆喰塗の民家などが建ち、周囲にはフクギなどの濃い緑の屋敷樹があります。集落の内外には、信仰と祭りの中心の場である御嶽が数多くあり、それぞれが奥深い神聖な空間を形成していて、昔ながらの農村集落の景観をとどめています。

竹富島,赤瓦
昔からの家並みが立ち並びます。

竹富島,赤瓦
赤瓦と漆喰の屋根が特徴です。



さらに情報検索
沖縄関係のブログ色々あります。にほんブログ村 旅行ブログ 沖縄旅行へ


テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

家屋 | 12:12:34 | Trackback(0) | Comments(0)
壺屋(つぼや)
 今回は那覇市内の壺屋です。
 壺屋は焼物(やちむん)通りとして観光ガイドにも載っていたりします。

壺屋(つぼや

県教育委員会の資料より
 かつて壺屋は、美里の知花、首里の宝口、そして那覇の湧田の三カ所にありましたが、1682年、王府の窯業統合策により現在地に移し合併させたといわれ、それからこの地の名も壺屋と呼ばれるようになったようです。この窯の建造もその頃とみなされ、壺屋に現存する唯一の荒焼窯であり、フェーヌカマ(南窯)ともいわれます。
 窯は長さ20m、幅3m。傾斜地を利用したカマボコ形の粘土造りで、内部は屋根部の支柱は設けてありますが仕切は設けず、トンネルのようになっています。窯には赤瓦の屋根がかけてあり、柱は耐火の配慮で、琉球石灰岩の角柱、または数個の積石にしています。この窯でつくられるのは素焼きで、主に酒の容器、水瓶、厨子などです。
 附石牆は、のぼり窯の風致および構造を保護する役目をもつものです。

壺屋,南窯

南窯(フェーヌカマ)
都市化が進み、煙害から現在は使われていません。

壺屋,東窯

東窯(アガリカマ)
こちらも今は使われていません。

壺屋は那覇市の国際通りから東手に入ったところにあります。
壺屋焼物博物館も併設されています。



さらに情報検索
沖縄関係のブログ色々あります。にほんブログ村 旅行ブログ 沖縄旅行へ


テーマ:史跡巡り - ジャンル:旅行

家屋 | 17:47:31 | Trackback(0) | Comments(0)
旧宮良殿内(きゅうみやらどぅんち)
 今回は本島を離れて、八重山諸島の石垣島です。
 石垣島はダイビングスポットとして人気がありますが、昨年は高海水温のため珊瑚の白化現象が進みました。

 その石垣島にある歴史のある家屋を紹介します。

旧宮良殿内(きゅうみやらどぅんち) 国指定重要文化財

県教育委員会の資料より
 1819年八重山の頭職にあった宮良親雲上(べーちん)当演が創建したもので、琉球の貴族の屋敷構えをやや完全に模した建築といわれています。
 琉球王府時代の住居建築は、階級による制度や規格があり、八重山の頭がこのような家屋敷を構えるのは違法であるとのことで、1874年(明治7年)御検使(宮古・八重山・久米島などに派遣された行政監察官)富川親方(うえーかた)の譴責にあい、茅葺きに改められ、廃藩置県(1879年・明治12年)後、現在の本瓦葺きになったと言われています。チャーギ(イヌマキ)造りの寄棟本瓦葺き平屋です。
 屋敷構えは、周囲を石牆(石垣)で囲み、正面中央部に本瓦葺きの四脚門を設け、門を入ると正面に築地塀のヒンプンを築き、中門を設けています。主屋は敷地のほぼ中央に配し、東側に珊瑚石灰岩を主材にした築山の庭園があります。

 庭園は琉球式庭園で、この地で産出される琉球石灰岩を主な材料として五つの築山を、北を高く南に向かって次第に低く築いています。二の山と三の山との間に枯滝を落とし、三の山と四の山の間に石の反橋をかけ、四の山と五の山は岩島風に作られています。また、前面は平らな砂地とし、庇下には左手に一群の岩を組み、右手に蹲踞を、特に砂岩を用いて構えています。
 庭園の地割は、日本庭園の伝統様式をとうしゅうするものであって、日本庭園文化の伝播をみる上で貴重であるばかりでなく、沖縄近世における上流階級の屋敷構えの中における庭園として最もよく保存されているものの一つです。

宮良殿内
旧宮良殿内

宮良殿内
旧宮良殿内庭園


場所は石垣市内の町中にあります。市役所からは歩いて10分ぐらいです。





さらに情報検索
沖縄関係のブログ色々あります。にほんブログ村 旅行ブログ 沖縄旅行へ


テーマ:史跡巡り - ジャンル:旅行

家屋 | 16:03:26 | Trackback(0) | Comments(0)
次のページ

FC2Ad