沖縄 ひろし

沖縄の城跡、石獅子、大川など歴史的遺構を紹介しています。
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名護城跡
名護城跡

表示板より
 桜(カンヒサクラ)の名所として全国的に有名になった名護グシクは、名護市の歴史のなかで重要な位置をしめる遺跡の一つです。
 このグシクに、いつの頃か人が住みはじめたのか定かではありませんが、これまでに採集された中国製磁器類・カムィヤキ・高麗系瓦・土器などのさまざまな遺物からすると、少なくとも今から約600年前(14世紀)のことだと考えられ、名護按司の居城として伝えられています。その頃は「グスク時代」と呼ばれ、奄美諸島から八重山諸島にいたるまで、人々は「グスク(グシク・スク)」と呼ばれる小高い丘の上に暮らしていたようです。また、それまでの数千年にわたる海や山の自然物の採集・狩猟による生活から、農業を中心にした生活に転換した時代でもあります。
 このグシクには、石垣をめぐらした防御の施設はありませんが、丘陵の尾根部を切り取ったみごとな「堀切」が残っています。グシクの頂上部に続く東側の緩やかな尾根を、一つは約3m、もう一つは約8mの深さに削り取った「二重の堀切」で、外敵の侵入を防いでいます。近年、沖縄島の数カ所の「グスク」で「堀切」が発見されましたが、特に、この「二重の堀切」は保存がよく、注目を集めています。
 また、グシク内には、祝女殿内(ヌルドゥンチ)・根神屋(ニガミヤー)・掟神屋(ウチガミヤー)・フスミ屋・神アサギなど、城区の拝所があり、大切な信仰の場所となっています。

名護城跡,沖縄,遺跡
他の城跡で見られるような石垣はありません。建物は「神アサギ」と言われる拝所です。

名護城跡,沖縄,遺跡
名護市内が一望できる高台にあります。





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城跡 | 16:34:16
大里城跡
大里城跡

表示板より
 大里城跡は、大里村字西原の北側、標高約150メートルの琉球石灰岩の丘陵台地に形成されている。北側から西側にかけて急峻な崖状をなし、崖を背に堅固な城壁と天然の地形を巧みに利用したグスクである。
 この城跡は別称「島添大里グスク」とも呼ばれ、当主であった南山王・島添大里按司によって築城されたと「中山世鑑」の中に記されている。また尚巴志が最初に攻略した城でもあり、後に三山統一のきっかけともなり歴史的に重要なところである。
 城の規模は東西に長く延び、北側の最奥部の本丸跡を取り巻く形で南側、東側に広く連敦式の城壁が連なり、石積みは野面積みが大半である。
 1991年の村内遺跡分布調査の際、試掘した結果、本丸跡から褐袖陶器、中国青磁、グスク土器、青銅製の飾り金具、丸玉、鉄釘などが出土し14世紀から16世紀の資料となっている。
平成4年1月 大里村

大里城跡


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城跡 | 13:58:30
御物城の石門
以前に紹介した御物城(おものぐすく)ですが、先日、植物で覆われていた石門が、台風等で枯れてなくなり、石門が見えていたので撮影しました。
こんな感じです。

御物城の石門
御物城,那覇,城跡

御物城の説明はこちらです
御物城




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城跡 | 09:44:09
渡具知泊城跡
渡具知泊城跡

標示版より(文法等無茶苦茶ですがそのまま載せます)
今から六00年前三山戦国時代中今帰仁城主按司は臣下本部大主の謀反にあって城奪われる一時世替りの騒動の中にあったが按司の嗣子千代松金は名お丘春と改め読谷山間切北谷間切砂辺村へ落ち延び読谷山大木徳武佐で難を遁る丘春仇討の機会を待ち十八年後に旧臣を集め本部大主お討って本懐おとげ城奪返す然るに次の代後北山の怕尼芝に攻められ中北山は遂に滅んだのである
時の若按司は本部具志堅で死す隠居の身仲宗根按司丘春は戦に追れ住なれた読谷山間切に逆戻り当地にて城奪返しの体勢を整たが力及ず遂に当地にて終身す按司丘春そして臣下の骨玉は東の方鷹の目洞窟に葬れる以後此の一帯を渡具知泊城と称す

渡具知泊城跡

渡具知泊城跡


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城跡 | 22:47:23
宇江城城跡
宇江城城跡

文化庁文化遺産オンラインより
 宇江城城跡は、沖縄本島から西へ約100kmにある久米島北部山系の標高約310mの宇江城岳の山頂に築かれたグスク時代の城跡である。
 沖縄県内のグスクのうち最高所に位置する山城であり、久米島のほぼ全体を眺望できる。
 城跡の築城年代は記録がなく不明であるが、伊敷索(ちなは)按司(あじ)の長男である久米(くめ)仲城(なかぐすく)按司が築いたとされ、第二尚氏尚真王の1510年(1506年説もある)に琉球統一の過程で滅ぼされたという。
 城跡は、山頂の尾根沿いに、最高所の東端部に一の郭を、その西側の一段下がった所に二の郭を、さらに下がって三つの郭を配し、その周辺に腰曲輪群、南面するグスク道(神道)の両脇に平場群を配する構造である。城壁の石積みは、一の郭の虎口(こぐち)部分周辺のみに珊瑚石灰岩の切石が見られるほかは、周辺で採れる板状の輝石(きせき)安山岩(あんざんがん)を使用する。発掘調査によって建物跡等を検出し、出土遺物は、主に一の郭や二の郭で多く出土し、青磁の碗・皿・酒会壷等多くの中国陶磁器がある。
 このように、宇江城城跡は、久米島支配の拠点として、久米島全体を見下ろす山岳頂部に築かれ、多数の腰曲輪群と平場群を備えた堅固な山城跡であり、沖縄におけるグスク時代の政治・軍事の様相を知る上で貴重である。

宇江城城跡,久米島,城跡

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城跡 | 08:58:09
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