投稿日:2012-05-12 Sat
南城市玉城百名にある石獅子です。説明板より
シーサーは中国より14,5世紀頃琉球にもたらされた。
17世紀頃各地に広がったといわれ、百名区には5体のシーサーが昭和30年代まであり、現存するシーサーは2体である。
昭和50年代の道路拡張により移動を余儀なくされ、近くに長年仮置きされていた。
近年区民の発案により移設が検討され、百名区を火災や疫病から守るために(魔除けとして)区の出入り口であるカチャ原割取(ワイトゥイ)に設置された。

百名区の入口にあるシーサーです。
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公民館に設置され手いるシーサーです。
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投稿日:2012-03-31 Sat
本島南部にある具志頭城跡です。城跡はほとんどわからないような状態ですが、展望台や休憩所があり、海の景色がとても綺麗な場所です。
具志頭城跡
具志頭村(現八重瀬町)教育委員会表示版より
具志頭城は、十四世紀の中期頃に英組王統第二代大成王の第三子具志頭按司の居城であった。その規模は、およそ二万五千七百平方メートルもあり、沖縄の古城跡の中でも大きい方で、自然の断崖上に構えられた山城形式にして、連郭式の城である。
この具志頭城の北方すぐ近くには、この城の出城としてのミドリ城がある。ミドリ城は玉城城などの城主からの攻撃に対しての見張所であったと伝えられている。南側には、高ヤックワと呼ばれる見張ヤグラの石垣遺構がある。高ヤックワは、南山城や多々名城などに対する備えとしての見張台であったと言われている。
代々の具志頭按司は、盛んに海外貿易を行った。その貿易港は、城下を流れている白水川の下流に広がる内海であったと伝えられている。

城跡とはほとんどわからない状態です。

御嶽(神聖な場所)が鎮座しています。

ここからの景色はとてもきれいです。
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投稿日:2010-07-09 Fri
今回は具志頭の歴史民俗資料館に行ってきましたので、その展示物の話です。印部石(ハル石)
資料館説明書きより
印部石(しるべいし、ハル石)とは琉球王国時代の図根点(ずこんてん)である。蔡温(さいおん)による元文検地(1737〜1750)の際に原の境界をまぎらわしくしないように印を植えて取り扱ったものとされる。各間切におよそ2〜300個ほど設置されていたという。印部石(ハル石)には主に「ニービヌフニ」と呼ばれている砂岩を使用し、平仮名またはカタカナで『い』『ロ』などの一字の符号と原の名前を刻銘した。印部石(ハル石)は廃藩置県後も保護されていたが、明治期の土地整理事業によってほとんどが消失したという(沖縄タイムス社「沖縄大百科事典(中巻き)」より。
展示している印部石(ハル石)は「や さんたう原」と刻銘されている。この印部石(ハル石)は字玻名城にあるザ・サザンリンクスゴルフクラブの駐車場となっている場所から発見された。この駐車場一帯は現在与古田屋原という名称であるが、かつてこの辺りは首里・那覇の帰農士族によってザンドー原屋(方言名ザンドーバルヤー)と称する集落がつくられたという。また、歴史書「球陽」には「具志頭郡佐無多字原(原文ママ)」という記述もあり、何らかの機会にザンドー原から与古田屋原に名を変えたと思われる。
なお、八重瀬町にはもう一つ印部石(ハル石)が確認されている。こちらの印部石(ハル石)は字世名城で見つかり、「ヲ 門原」と記されている。現在は印部石(ハル石)の見つかった土地の所有者が保管している。

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投稿日:2010-06-03 Thu
前回の港川フィッシャー遺跡の近くにある御嶽です。道沿いの所にあるのですが、見過ごしそうなところです。
唐の船御嶽(とうのふにうたき)
具志頭村教育委員会標示板より
昔、中国の貿易船が難破し、船が使用不能になったので、船員はこの地に上陸し仮小屋を建てて住んでいた。彼等は食糧に窮し、附近の甘藷、野菜はもちろん、にわとり、豚等までも盗んで食べるようになった。住民は、これを公事(間切の番所)に訴え出た。公事では遭難した不運の船員に深く同情し、間切の公費でもって食糧を供給した。当地滞在中彼等中国の船員は、この地に祠を設け中国に於いて深く崇信している、航海の安全を守護する「媽祖(まそ)」と称する女神を祀り、故郷中国へ帰る航海の安全と、健康を祈願した。願いがかなって中国へ帰ることが出来た。
帰るに際し、彼等はこの地の住民に、この祠に祀られている神様は、海上安泰、豊漁、豊穣、子孫繁昌、健康を御守りする守護神である。ひとしくこの神の庇護を受けるようにと伝えた。人々はこの神を崇信し、この祠を「唐の船御嶽」と呼ぶようになった。当時、沖縄の人々は中国のことを「唐」と呼ぶ習であった。

石灰岩のご神体が鎮座しています。
沖縄では珍しく比較的きれいに管理されています。
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投稿日:2010-05-07 Fri
先日、具志頭の港川での鯉のぼり祭りに行った時に、港川原人の遺跡を公開していましたので見てきました。ふだんは、役場の教育委員会に問い合わせると見れるみたいです。
港川古代人骨出土遺跡
具志頭村教育委員会標示板より
昭和42年(1967)、この遺跡内から採掘された粟石の中から、化石人骨・哺乳類の化石が、那覇市安里150大山盛保氏によって発見された。
この発見が発端となって、昭和43年(1968)から昭和49年(1974)にかけて、沖縄洪積世人類遺跡調査団による本格的な発掘調査が、遺跡内の琉球石灰岩の割れ目(港川フィッシャー)で行われた。
その発掘調査で、個体数5ないし7体の化石人骨が得られた。
この発掘された人骨は、東京大学人類学教室に保管され、測定の結果18,000年前の人骨であることが判明した。長い人類の歴史では、「新人」に分類されるこの人骨は、現在発見されている最古の日本人である。
完全な骨格で発掘された人骨は、10年がかりで復元作業が行われ、「港川人」と命名された。
18,000年前とは、地質時代の更新世末期で、氷河時代のウルム氷期の最盛期に相当する。
港川人の人骨を調査した、東京大学人類学教室の鈴木尚教授は、縄文時代人によく類似しているが、化石骨中のフッ素の含有量を見ると、縄文時代人に比較してはるかに多いということであり、頭蓋骨の特徴は、中国華南の後期旧石器人の柳江人に近いということである。

遺跡へと向かう道です。うっそうとした森です。

地主によりお地蔵様が建立されています。
岩の割れ目とくぼみがあります。
ここで古代人がすんでいたのでしょうか。。。
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