沖縄 ひろし

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百十踏揚(ももとふみあがり)の墓
百十踏揚の墓

表示版より
 百十踏揚は、尚泰久王の長女で勝連按司阿麻和利の妻であったが、阿麻和利が倒された後、鬼大城といわれた越来城主の大城賢雄に嫁いだ。大城賢雄が尚円王に破れた後は、兄弟の三津葉多武喜と玉城字當山の大川グスクで暮らし、その後、現在の仲栄真の屋敷で共に暮らしたといわれている。
 百十踏揚の墓は、西ヒチ森の大岩に安置されていたが、昭和三十七(1962)年頃に中学校校舎建設のため陸上競技場東側にある仲栄眞腹門中墓の側に三津葉多武喜と共に安置されている。
沖縄県南城市教育委員会

百十踏揚の墓





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| 13:53:26
前川樋川(まえかわひーじゃー)と前川民間防空壕
前川樋川と前川民間防空壕

表示版より
 琉球王府の史書である「球陽」(1745年)によると、前川区は1736年に糸数城跡南側の麓から現在地に移動している。この前川樋川も当時の絵図(琉球国惣絵図・1750年頃)にも記載されていることから、当時から住民の生活用水として利用していたと思われる。
 急勾配の石階段は水運びが不便であったため、1932年に南側へ緩やかな道路を造り、水運びが楽になった。当初、樋川は簡易な水溜め程度の施設だったが、1936年に現在の粟石製貯水タンクと女性用の水浴場を建造して、日本本土復帰前(昭和40年代)まで貴重な水源として使われれてきた。
 同樋川を中心とした崖の中腹には、岩盤を掘り込んで築造された民間防空壕が40ヶ所、並んで存在している。
 この民間防空壕は1944年10月10日の南西諸島大空襲(那覇市は9割の家屋が焼失した。)後、米軍の沖縄上陸が濃厚となったため、字民が2・3世帯ずつ一組になり避難壕として建設したものである。壕入口の多くはしゃがんで通れるくらいの高さで、広さは約4㎡。隣り合う壕が内部で連結するという構造になっている。字前川近くに米軍が進行してきた際には、多くの住民がこの壕や南部具志頭方面に避難した。なお、この壕では4ヶ所で集団死が起こっており、20人余が死亡している。
 旧玉城村内には自然洞穴を利用した防空壕は多いが、このようにまとまって掘られた民間防空壕はここだけである。

※防空壕の写真は撮影しておりません。

前川樋川
前川樋川,樋川,沖縄,史跡

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大川&樋川 | 18:28:06
上門(いーじょう)の石門と石畳道
上門の石門と石畳道

表示板より
 「富名腰ウエキー」と呼ばれる上門のヒンプンと石垣の屋敷囲いは、多くの石工と人夫を動員して造られ、一年以上かかったと言い伝えられています。使用した石は集落の東側(ナンジャーガーの下側等)にある岩山の石を切り取ったもので、大勢の人々が引っ張って運んだと言われています。また、西側と後方には石畳道が残っており、石垣には石敢當がはめ込まれているなど珍しい方法で設置されています。

上門の石門と石畳道,南城市,史跡,石畳

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※個人宅なので、道路から見学するようにしましょう。



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家屋 | 15:10:40
知念大川(ちねんうっかー)
知念大川

表示板より
 知念大川の水源地は後ろの崖下にある「ウファカル」と呼ばれる湧水で、『中山世艦(ちゅうざんせいかん)』(1650年)には「アマミキヨが知念大川後ろの田と玉城の受水走水(うきんじゅはいんじゅ)に稲を蒔いた」と記されています。このことから、知念大川は琉球国王が自ら参拝する聖地とされ、現在の東御廻り(あがりうまーい)に受け継がれています。

知念大川,沖縄,史跡,湧き水,パワースポット

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大川&樋川 | 16:32:26
カラウカハ
カラウカハ

表示版より
 玉城新原集落の北西側にあり、知念の「ウファカル」、玉城「受水・走水」とともに稲作発祥伝説の舞台となっています。
 地元の伝承によると、今から約700年前、中国から稲穂をくわえて飛んできた一羽の鶴が暴風にあってこの地に落ち、その稲穂がここで芽を出しました。早苗はアマミツ(地元の偉人)によって受水・走水の水田(御穂田)に移植され、琉球最初の稲作が始まったと伝えられています。現在は地域の拝所として、初ウビー(若水取りの儀式)などの行事に拝まれています(別名「天孫子ガー」)。

カラウカハ,史跡,稲作発祥地,玉城,新原





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大川&樋川 | 20:47:00
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